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Mia aioniotita kai mia mera 永遠と一日

ギリシャ映画 (1998)

アヒレアス・スケヴィス(Achileas Skevis)が、主人公の詩人の「最後の日」に大きな影響を与える少年の役を演じる名画。1998年のカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作。アヒレアスは隣国アルバニアから不法入国した少年(名前はない)を演じている。アルバニアは1997年3月に無政府状態に陥り国連軍が入ったほどなので、その際の暴動から逃れてギリシャに入ったと考えるのが自然であろう。一方の詩人は、実在の人物ではないが、ギリシャの有名な詩人という設定。そして、病名は明らかにされていないが恐らく末期の癌で、明日の入院を覚悟している。入院前日の2人の出会いと、詩人の過去が交叉して描かれ、少年が詩人に与える3つの言葉 “korfulamu”、“xenitis”、“argathini” が、詩人のこれまでの人生をつづるキーワードとして重い意味を持つ。評価の高い映画であるが、私は好きではない。ネット上に記載されたこの映画の分析は、日本語であろうと英語であろうと、この3つの言葉の重要性を監督ほどには認識していない。監督テオ・アンゲロプロス自らの解説がなければ誰も正しく理解できないというのは、映画という大衆視覚芸術のあり方として、スタンスが間違っているのではないか? 難解であれば満足し、理解を超えていることに醍醐味を感じるような自己陶酔的な観方は、私にはできないから。

映画は、主人公である詩人アレクサンドレの少年時代の海辺での短い思い出から始まり、テッサロニキでの現在に戻る。テッサロニキといえば、『アイ・アム・デビッド』で、デビッドがブルガリアの収容所から逃れて到達した港町だ。詩人は、アパートを出て、娘と最後に会うため車で向かう途中、交差点で停車した際、1人の少年がフロントガラスを拭き始める。偶然の運命的な出会い。詩人は、その少年を警察から匿い、すぐに別れる。その後、娘のアパートで亡き妻の手紙を初めて読み、自身の「愛に欠けた一人よがりの生涯」に気付かされ、愕然とする。そして、再び街へ。そこで偶然、先ほどの少年が拉致されるのを目撃、人身売買される寸前で助けてやる。そして、少年を故郷のアルバニアに帰そうとする場面で、彼が口ずさむ “korfulamu” という言葉に引き付けられる。そして、少年に、実在した19世紀の偉大な詩人ディオニソス・ソロモス(1798-1858)が、優れた言葉を民衆から買ったと話して聞かせる。それを聞いた少年が、売った言葉が、“xenitis”。そして、少年の友達の水死体の発見と、追悼の儀式。その間を利用した老詩人の実母への最後の別れ。仲間と一緒にフランスへ旅立とうとする少年と過ごす最後の2時間。別れ際に少年が与えた言葉が、“argathini” だった。老詩人は、少年の乗った船を見送った後で、一人海に向かい、少年から授かった3つの言葉を何度も口にする。亡き妻への贖罪と、自分自身への反省をこめて。ヨーロッパ映画協会のギデオン・バックマンによる、テオ・アンゲロプロス監督へのインタビュー(1997年11月11日)によれば、“korfulamu” は、直接の訳は「花の愛情」。母の腕に抱かれて眠っている子供の心境を表現する言葉で、母や妻との愛、親密さ、情交を表象する。つまり、妻の愛に答えられなかったことへの贖罪だ。“xenitis” は、今では忘れ去られた言葉で、よそ者というだけでなく、どこにいっても常によそ者であり続ける人間、さすらい人を表している。老詩人の魂を示すもので、彼の人生そのもの。如何に自分が独善的で、世間と遊離してきたかに対する自戒と反省を意味する。“argathini” は、夜、非常に遅いことを示す言葉。老詩人にとっての「時」を表す。死の直前であることを。「何かをすべき時は、もうとっくに過ぎ去ってしまった」という現実を悟るべきだという認識だ。人生の最後に、この3つを言わなくてはならないというのは辛いことだろう。また、監督は英国映画協会のジェフ・アンドリューとのインタビューで、「アレクサンドレは、死を超越することを可能にする “橋” を見つけようと望んでいる。その “橋” とは、彼の肉体的な存在は停止しても、言葉により、自分を生かし続けるものだと信じている」とも述べている。この映画におけるもう一つの重要なシーンは、アレクサンドレが妻に対し、「明日はいつまで続く?」と訊き、「永遠と一日」と答えられる場面。映画の題名にもなっているキーワードなのだが、これも、“橋”と関係があるのかもしれない。尤も、監督は、この部分に関しては、「もし我々が幸運なら、我々が抱く未来像を実現できるかもしれない」と的を外して答えていたが。

アヒレアス・スケヴィスは、ギリシャ人としては珍しくきれいな金髪の少年。映画の中で2回、すごく特徴のある笑い方をする。ほとんど口をきかないが、アルバニア国境でだけ一気にしゃべる。そして、一番重要な3つの言葉を老詩人に与える。すべてに出演している訳ではないので、以下のあらすじでは、無関係の部分はカットしている。残念なのは、一度もクローズアップがないこと。


あらすじ

老詩人アレクサンドレ。明日は入院。今まで引き伸ばしてが、ついに病気が耐えられないレベルに達してしまった。お手伝いさんにお礼をいい、愛犬を引き取ってもらおうと、娘のアパートに向かって車を走らせる。赤信号で車を停めると、待ち構えていた小さな少年が走り寄ってきて、フロントガラスをせっせと拭き始めた。終わらないうちに、後方の信号から一斉に少年達と警官隊が走ってくる。窓拭き少年グループの一斉検挙だ。車の前に隠れる少年。詩人はとっさに、助手席のドアを開け、「乗れ!」と声をかける。ほぼ全員が捕まる中で、少年は無事に匿われた。脇に車を停めた詩人は、少年に「どこから来た? ギリシャ語は? 連れて行って欲しい所は?」と訊くが、少年はじっと顔を見つめるだけ。そして、そっとドアを開けると、嬉しそうに微笑んで降りた。そして、どこかへ駈けていく。
  
  
  

詩人はそのまま娘のアパートに行き、最後の別れをし、形見として妻の手紙を渡す。娘にとっては母の手紙だ。その妻の手紙を、詩人は今まで読んだこともなかった。娘が読み始める。それにつれて、昔、妻が若かった頃の海辺の家での生活が思い出される。初めて聞く手紙には、詩人にとって耳の痛い言葉が並んでいた。「あなたの考えるのは、自分の本のことばかり。いつ出版社に送るの? いつ一緒にいられるの?」「夜のあなたは、眠っているのか、黙っているだけなのか分からない。あなたが いろいろ考えるのが怖い。でも、あなたの沈黙を侵すのも怖い。だから、私は体で伝えることにした。あなたを脅かさないよう するために」。「あなたが、私のことを夢見るなんて思えない。もし、ほんの一瞬でも それが叶ったら、私きっと、思い切り叫んじゃうわ」。妻をこんなにも失望させ、自分は殻に閉じ籠っていたのかと、自責の念にかられる詩人。突然、浴室から出てきた娘婿は、詩人が好きだった海辺の家を売ったと伝え、さらに、追い討ちをかけるように、連れて来た犬の引き取りも拒む。絶望して娘のアパートを出て、痛みを抑えるための薬を飲む水を頼もうと店頭で車を停めると、偶然、道路の向かい側に先ほどの少年がいた。少年は、詩人が薬を飲み終わった時、目の前で、2人連れのグループに拉致されてしまう。慌てて車を出し、後を追う詩人。少年を乗せた小型トラックは、廃墟のような建物に横付けになる。そこに乗り付けられたきれいなバス。降りて来る裕福そうな夫婦連れにうまくまぎれて詩人も建物内に入る。そこでは、拉致してきた少年達の人身売買が行われてきた。裕福そうな老夫婦が多いので、養子目的なのだろう。壁に沿って一列に並ばされた少年の中に、先ほどの少年もいる。すると、中央にいた大きな少年が窓ガラスを叩き割り、それを機会に全員がクモの子を散らすように逃げ出す。詩人は駆け寄ってきた少年を抱きとめる。そして、拉致クループに、財布の中を見せ、有り金すべてと交換に少年を助け出す。
  
  
  

詩人は、車を走らせ、道路脇で営業しているサンドイッチ屋の前で車を停め、少年には「降りるな」と手で指示する。「水を一杯たのむ。それと、サンドイッチ1つ」。そして、店主に「実は、車内に知らない子がいる」。「それで?」。「アルバニアからの難民で、きっとギリシャ系だ」。「それで?」。「ここから、アルバニアの国境まではどのくらいかな?」。「2時間。雪があればもっとかかる。山越えがあるから。あのバスの運ちゃんに頼んだらどうだね? 国境の近くの町まで行くんだ」。詩人は、バスの運転手と交渉、了解を取って車まで一緒に戻ると少年がいない。「逃げたな。いつだってこうさ。警察が捕まえて送り返しても無駄だ。山を越えてやって来る」。詩人は、少年の姿を目に留めると、大声で呼び掛け、サンドイッチを見せる。逃げずに待っている少年。サンドイッチを食べ始めた少年に、「どうやってギリシャに来た?」「言いたくないのか?」「君の村は国境の近く?」「家族は?」。ここまできて、ようやく少年が口を開く。「おばあちゃん」。「あのバスは国境の近くまで行く。君を こんな所に置いていけない。だが、私は明日 旅に出るから、時間がないんだ。バスが終点に着いたら、運転手がタクシーを見つけてくれる」。そう言って、詩人はタクシー代をポケットに入れてやる。すると少年は、不思議な歌を口ずさみ始める。その歌の中に出てきた “korfulamu” という言葉にハッとする詩人。「“korfulamu” と言ったのか?」「復唱して」「何て言った。歌って」と求めるが反応なし。詩人は言葉を大切にする。妻の手紙を聞いた詩人にとって、“korfulamu” は心を揺さぶられる言葉だったのだ。バスの乗車口で、「君を放っておけなかった。これしかなかったんだ」という言葉にも黙って顔を見る少年。座席に座っても、何か言いたげだ。バスは発車するが、道路に出た所で停車し、少年が下車してしまう。詩人は、道路の反対側で両手を広げ、「望みは分かった。私も、こんな風に別れたくない。だが無理だ!」。因みに、日本語字幕では、この重要な言葉は「コルフーラ」となっている。正しく、「コルフーラモー」と書くべきである。それに、誤訳が多すぎる。なさけない。
  
  
  

少年を連れて街に戻った詩人。カフェに入り、また、薬のための水を所望。よほど体調が悪いのだろう。「子供を国境まで送ってくれるタクシーを探してる」。「難しいでしょう。道が悪すぎる」。その時、警官が4人どやどやと入って来る。少年にも感心を持った様子が鏡越しに映る。面白いアングルだ。少年は、そっと逃げ出す。詩人は、少年が消えたので捜しに出るが、今度は歌声で場所がすぐに分かった。「どうした? 震えてるぞ。警官が怖かったのか?」。少年が、さっき渡されたタクシーを返そうとするのを押し留め、代りに、「詩人って何か、知ってるか?」と訊く。「時間があれば、言葉を買った詩人の話をしたいんだが」と言うが、反応ゼロなので、「行こう、凍えそうじゃないか」と車へと誘う。
  
  

雪のアルバニア国境。さっきより、余程寒いと思うのだが、少年は車を降りると、これまでの沈黙を破り、長々と話し始める。銃を持った一団により夜 村が襲われ、誰もいなくなったこと。兄貴分のセリムと必死で村から雪道を通って脱出したのだが、途中まではポリ袋で立ち木に目印がしてあったが、途中から雪原となり、地雷を警戒して石を投げては安全を確認することをくり返したこと。まさに、決死の脱出行だ。アルバニアに戻っても意味がないと少年は言いたいのだ。しかし、詩人は少年を連れて検問所へと向かう。ゲートの向こう並ぶのは、出国しようとして撃ち殺された死体。不気味な光景だ。2人の姿を認めた軍人が一人こちらへ向かって歩いて来る。少年は、必死に、「おばあちゃんなんていない。嘘ついた」。「私は、明日 いなくなるんだ」。しかし、このまま連れて行かせたら、少年の生命に危険が及ぶと危惧した詩人は、軍人の制止を振り切り、少年を連れて逃げ出す。
  
  

河原のサンドイッチ屋の前で車を停め、「また、無駄遣いか?」と詩人。少年は、サンドイッチを買い、それを高く掲げて見せ、「一度も食べないね?」と訊く。そして、急に、「詩人って何か、知ってるよ」と言い出す。それならと、川岸沿いにゆっくりと歩きながら、19世紀の詩人ソロモスの話をしてやる。彼はギリシャ人だったが、イタリアで育った。オスマントルコ支配下のギリシャには一度も行ったことがないため、ギリシャ語を知らなかった。1821年にギリシャ独立戦争が始まったのを知り、母のいるザキントス島に戻り〔実際には、開戦前の1818年〕、そこで詩人の役目を果たそうとする。革命を讃え、死者を鎮魂し、失われた自由を招来するために詩を作るのだ。しかし、ソロモスはギリシャ語を話せない。詩に相応しい言葉も知らない。そこで、ソロモスは島中を歩いて言葉を収集するだけでなく、初めて聴く言葉にはお金を払った。2枚目の写真は、言葉に対し、お金を払っているところ。
  
  

愛犬をお手伝いさんに無理やり預けた後、海岸沿いのベンチに少年と2人で座る詩人。少年は「微笑んでいるけど、ホントは悲しいんだ」と言うと、立ち上がってニッコリと笑いかけ(1枚目の写真)、「言葉をもらってこようか?」と尋ねる。そして、「高いかも知れないよ」と言って、岸壁まで歩いていき、そのまま戻っくると、“xenitis” と一言。「“xenitis”? よそ者のことか?」。「“xenos”、 さすらい人」〔“xenos” は普通に使われるギリシャ語〕と答える。詩人に2番目の言葉を与える重要なシーンだ(2枚目の写真)。お金を渡し、「意味が分かるのか?」。「ううん」。「村でおばさん達が言ってた」。「もっと欲しい? 持ってこようか」と言って、少年はいなくなる。少年を待ちつつ、30年前の記憶に入り込んでいく詩人。
  
  

気が付くと、岸壁に人だかりが。1人の少年の水死体が見つかったのだ。いつもの少年の姿もない。どうやって少年の居場所をつきとめたのかは謎だが、詩人が建設現場の2階に上がって行くと、隅で少年が泣き崩れている。「なぜ いなくなった? 探したぞ。どうしたんだ?」。少年は、「ああ、セリム」と漏らす。セリムとは、少年がアルバニアから一緒に逃げてきた、いわば恩人だ。彼がいなければ地雷原は突破できなかっただろうから。それが、先ほど上がった死体だと知った詩人は、少年を連れて死体安置所へ向かう。詩人が、係官の気を逸らしている隙に、安置室に忍び込む少年。死体にかけられた白い布を外し、頭を撫でて最後の別れをする(2枚目の写真)。そして、遺品を持ち出し、窓拭き仲間の元へ向かう〔その間、詩人は入院中の母に最後の別れを言いに出かけた〕。先ほど泣いていた建設現場に集まった数十名の仲間たち。少年が持ち込んだ遺品に誰かが灯油をかけ、火を点けて全員で弔う。追悼の口火をきる少年。「ああ、セリム」。他の少年が続ける。「今夜、君が一緒にいないのは残念だ」。「怖いよ、セリム。海は広いんだ」〔この夜、少年達は集団で船でフランスに向かうのだ〕。「君が行こうとしたのは、どんな所なんだ?」。「俺たちがこれから見るのが、山でも谷でも、警官でも兵隊でも、俺たちは先に進む」。セリムがみんなの心の支えだったことがわかる。感動的なシーンだ。
  
  
  

母の病院を出た詩人を、少年が走って追ってくる。そして、「さよならを言いたくて」と話しかける。落胆して、「今夜 発つのか? こんな真夜中に? てっきり… 君まで行ってしまうのか」と詩人。「僕、独りになりたくないよ」。「君は、大きな旅に出るんだな… いろいろな港、広い世界へ」。そして、少年は「さよなら」と言って去って行く。詩人は、思わず、「一緒にいてくれ」とすがるように頼む。「船が出るまで2時間あるだろ。私には今夜しかない。いてくれないか」。戻ってきた少年。「怖いよ」。「私もだよ」。少年が抱きつく。自分を何度も助けてくれた恩返しなのだ。
  
  
  

そこに、市営バスが着く。バスを指差し、「乗ろう」と誘う詩人。バスに乗り、にこやかに笑みを交わす少年と詩人。2人の間には、もう何の垣根もない。詩人にとっては、人生最後の幸せのひと時だ。先のジェフ・アンドリューとのインタビューで、監督は、「この場面の脚本は、全く違っていました。映画ではシーンは即興です。元々はとても現実的で乗車人物は詩人と少年の2人だけでした。しかし、撮影中に、「時間に止まって欲しい」という詩人の心境を表現すべきだと感じたのです。それが変更の理由です」と述べている。つまり、バスの中の全シーンは、詩人にとっての理想の夢の世界なのだ。別の証拠は、4枚目の写真にある。バスを降りた2人。」左端に街灯の写った構図は、バスに乗る前、少年と語り合った際の構図と全く変わらない。変わらないことで、2人が移動しなかったことを暗示している。因みに、バスに乗る前と降りた後に登場する黄色のレインコートをはおった3人の自転車乗りは、監督によれば、どの映画にも黄色を登場させることで「自分の映画であること」を示す一種のサインだそうで、深い意味はないとか。深読みをするマニアもいるが、残念ながらそんなものではない。そういえば、少年の着ているアノラックも黄色だ。誰も指摘していないが。
  
  
  
  

少年を、船の出る埠頭まで車で送って来た詩人。密航する子供たちも到着し、トラックに乗り込み、車内の少年に、「早く来い」と合図の口笛が。ここから始まる車内での、短いが悲痛な最後の別れ。少年は泣いている。「時間だな」と詩人。少年は、ここで、3つ目の重要な言葉 “argathini” を口にする。「何と言った?」「“argathini”。『とても遅い』って意味」。「とても遅いか…」。これこそまさに、自分のことだと感じ入る詩人。人生の最後の最後になって、ようやく自分というものが分かった。あまりにも遅すぎたのだと… 的確な言葉を与えられ、お礼のお金を渡す。少年は、「行かなくちゃ」と言い、悲しみに満ちた顔で 詩人をじっと見つめる。そして、「さよなら」。ドアを開けると、船に向かって走り去る。トラックはすぐに船に乗り込んだ。そして出航する船。それを、車から降りて見送る詩人。
  
  

朝になり、詩人は海辺の家を訪れる。そして想いは過去へと遡る。妻とダンスをする。至福の瞬間だ。「病院に行くのは やめた」「明日の計画を立てたい」と打ち明けた後で、「明日はいつまで続く?」と問いかける。そして、遂に与えられた「永遠と一日」という答え。ここで、どうしても納得できないのは、昨夜この問いを発するのなら分かる。しかし、この質問をした時点で、もう夜は明けて「明日」になってしまっている。だから、「今日はいつまで続く?」と訊いてこそ、整合性が取れるハズだ。だって、本来、今日、彼は病院に行き、現実の世界と訣別するのだから。そして、実際には、病院に行くのはやめ、今日、海に向かって3つの言葉を投げかけ、亡き妻に対し許しを請い、妻からの許しを得て、永遠の心の平穏を得るのだから。
  
  

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